せくしょん 11 ローレンス‐ムーン‐ビードル症候群など
セクション11は「論文など・・・その③・・・」
「内視鏡的ポリペクトミーを施行した大腸悪性腫瘍の2例」という論文、あるいはセクション9、セクション10に掲げた「上部消化管出血に対する・・・」などから分かるように、消化器(消化管)の内視鏡的手術を第一の専門としていた。
在宅ケア(在宅介護、訪問看護、在宅医療、訪問リハなど)に関しての論文等は多数ある。また、「ホームヘルパーの手引き」や「介護職員初任者の手引き」などにも論文記事を掲載した。
褥瘡(床ずれ)については、「臨床医に必要な 老人をみる眼 褥瘡」(メディチーナ、1995年)において、一般の臨床医が褥瘡のケア、治療法などについてまだまだ充分知らなかった頃、その発生因子、予防法、治療方針などを具体的に紹介した。また、「・・・どうしてますか?褥瘡の日常ケア」(介護人材Q&A、2014年)において、在宅ケア、施設介護などの現場のケアワーカーに、褥瘡の最新のケア・治療方針等について指導した。
ローレンス‐ムーン‐ビードル症候群についての論文があるが、これは、メディカルレビュー社が二次性糖尿病の特集を組もうとして、ローレンス‐ムーン‐ビードル症候群について症例を2例挙げて解説できる執筆者を探したところ、全国で西原しかいないことが分かり執筆依頼があったもの。
「野口の父、佐代助(さよすけ)」「野口英世の妻」ということでコラムを
掲載した。
コラム 野口の父、佐代助
野口英世の伝記では、たいていの場合、父(婿養子)の佐代助は“酒飲みの怠け者”として描かれるのであるが、実はそうでもないように思われる。確かに家業である農作業に精を出すことは殆んどなかったのだが、彼は明治時代初期の郵便事業の逓送人(飛脚、郵便配達員)として25年間の長きにわたって遠距離を走り続けたのである。農業に従事するよりも外で働く身軽さのほうを選んだものと拝察するが、実に長年にわたり勤め上げている。酒飲みなのは困ったことであったが、彼は子供たちや家庭のためにも真面目に生き、明治の世を懸命に駆け抜けた人だったのである。月に一度は必ず、自分の生まれた村にある小平潟天満宮(“日本三大天神”のひとつ)に参拝して息子清作の成功を祈っていたという。
野口の父・佐代助は婿養子。 西原の父・春夫も婿養子
コラム 野口英世の妻
ニュージャージー州統計局に保管されている野口の結婚証明書の記述によると、1911年4月10日現在、英世34歳、妻メリー35歳とある。野口の妻は一歳年上の“姉さん女房”であった。一方、西原に関しては、妻和代と結婚した1980年5月11日現在、修造24歳、和代25歳。なんと西原の妻も一歳年上の“姉さん女房”である。かといって西原は野口のことを意識して結婚したわけでもなく、実際、野口の妻が一歳年上であったことを知ったこと自体、つい最近、63歳になった頃のことであった。まったくの“偶然の一致”である。
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