せくしょん 13  「老人医療の現場から」





  セクション13は、「新聞・雑誌などの記事・・・その②」


  平成5年に月刊誌「Phase3(フェイズ/スリー)」(病医院のための
  総合情報誌:日本医療企画)に連載した「老人医療の現場から」には
  大変大きな反響をいただきました。ここに、大きな文字にして再掲
  させていただきます。どうぞお読みください。在宅医療、在宅ケア
  の黎明(れいめい)の様子、雰囲気がよく伝わると思います。


医者もケアワーカー”という気持ちで臨めないか
 宇賀岳病院の高口さんがこのシリーズでよく書いておられるが、確かに在宅ケアの現場において“医者がガン”となる場面は多いのであろう。
相次ぐ医師・医療機関への不満
 将来的に在宅介護のコーディネーター的な仕事ができればと思っている私は、まずは在宅をめぐる各種機関、団体等のそれぞれの立場をよく理解することからと考え、チャンスを見つけては、これらに従事する方々と、できるだけホンネで対話するよう心掛けている今日この頃である。
 先日はラジオのトーク番組で、県内数市町村の保健婦や訪問指導員の方々とご一緒する機会があった。ややもすると美談、奇麗事ばかりで塗り固められてしまいがちなトークのなか、思い切って「でも実際には、病院や医者に対して、この際おっしゃっておきたいことも多々あるのでは」という調子で話の流れを変えてみた。案の定、1人の訪問指導員が顔面を少し紅潮させながら、勇気をもって医者に対するモンクを述べたのに続いて、今までのイヤになったこと、ガックリきた事例などが、出るわ出るわ・・・・・。
 彼女らが医療機関あるいは医者に対して抱いている不満は2点にまとめることができた。
 1つは、病院が診断・治療行為に専念し過ぎるあまり、ケアのほうに手が回らず、老人のADLを低下させ、ひいては“病院で寝たきりになってしまうと彼女らは力説する)ということ。特に老人病院においては、確かにそう言われても仕方のない現状であると素直に認めざるを得ないのかもしれない。「入院医療管理料制度」の導入で、点滴など老人をベッドに縛りつける行為が著減し、その分ケアのほうに手が回るようになって、寝たきりの人が歩けるまでに回復するというような皮肉な現象も起こってきている。すでに医療側も反省、改善の段階に入りつつあると思うのだが・・・・・。
 もう1つの不満は、高口さんの言わんとするところでもあろうが、在宅の現場において、気むずかしい医者が思うように動いてくれない”ということ。特に年輩の医者や、医師会関係の“偉い”先生などにその傾向が強いらしい。在宅ケアについての理解がない何でも医療的管理下に置きたがる、と言うのである。これも耳の痛い話だが、少なくとも、在宅の重要性が日増しに高まりつつある中で育ってきている“若手”の医師たちに関しては、そこまで理解がない人、気むずかしい人の割合は徐々に減少してきているようではあるが・・・・・。
問題は医師だけではないのでは?
 私自身、これまで10年間の活動から得た信条は、在宅ケアに関しては、まず医者であることを忘れるところからスタートすべきということである。訪問するからには、ニーズを直視した援助をすべきと考え、たとえ訪問時だけではあれ、身体の移動や入浴、オムツ交換などもできるだけ手伝うよう心掛けている。
 “QOL”とか“アメニティ”などという言葉は、在宅の現場でこそ最重視されるべきものだと思う。
 “医療的管理至上主義”は、こと在宅に関してはナンセンス。医者も一ケアワーカーであるという気持ちで在宅ケアに従事し、しかるべき医療行為の場面においては医師としての本領を発揮し責任も持つというような態度で臨むことは難しいことなのであろうか?
 ただ、「医者は気むずかしくて困る」とこぼす人たちの、普段からの立ち居振る舞いにも何か問題はないのだろうか?特に保健婦や訪問指導員などの、疾病や医療の“厳しさ”についてあまりに知らなさ過ぎる不用意な言動、行政のタテ割り制度に慣れきった杓子定規なものの考え方何度も面食らわされながら、いつしか医者のほうも身構えてしまっているというような要素は全くないのであろうか?
  


老人保健福祉計画による現状改革を期待したい
「寝かせきり」から「寝たきり」に
 Sさん(77歳、男性)は半年前から寝たきりの状態とのこと。腕利きの大工としてバリバリ働いていたのだが、10年前に右足を痛め(傷め)、その後次第に、不自由な足を無理して使って動くことがおっくうになった。そして「寝たり起きたり」から「寝たまま」の生活となり家族もそのままにしておいてしまったという。寝かせきりによる寝たきりの典型例である。腰の部分に床ずれ(褥瘡:じょくそう)ができ、だんだんひどくなってくるので一度みてほしいというご家族からの電話連絡を受け、初めてSさんの存在を知り訪問した。
 直径8cmくらいで、骨が顔をのぞかせた、確かにひどい床ずれおまけに、既に全身の関節の拘縮(こうしゅく・・・固くなって動かなくなる)を来しており、体を横向きにして局所を観察・処置することすら極めて困難な状態。「どうしてもっと早く相談してくれなかったのか・・・・・」と心の中でつぶやくも、あえて口には出さなかった。
 介護者(息子さんの奥さん、54歳)自身にも“生活”というものがある。近くのクリーニング屋に勤めながらの介護は、彼女にとって過酷な“超過勤務”と言えるであろう。「寝かせきり」から「寝たきり」にさせてしまったこと、床ずれについての連絡・診療依頼が遅かったことに対して、医者ヅラをして偉そうに指導したり叱ったりすることは別に難しいことではないのだが、今後長期戦が予想される訪問診療の初ッパナから相手を萎縮させてしまってはいけない。何でも遠慮なく連絡・相談してもらえるような“いい関係”づくりは、もうスタートしているのである。まず、こちらから誠意を示していくうちに、ジワリジワリと分かってもらうことができればいいと、私は思っている。
自治体間での格差が大きい老人福祉サービス
 何はともあれ、目の前にある床ずれのケア戦略は開始された。全身の関節の拘縮のため、ちょっと体に触れただけでも痛がるのを懸命になだめながら、こちらも汗びっしょりになって毎日毎日、局所処置を続けた。…が、床ずれは一向によくならないどころか、悪化の傾向さえ呈した。治療の大原則である体位変換(体位交換)が、関節拘縮のために十分できなからである。やはりエアマットギャッジベッドが必要だと痛感し、Sさんの住む町の役場に援助を求めた私は、大きな衝撃にブチ当たることとなる。
 「障害者手帳を持っている人でないと、そういうものは貸与も支給もできませんよ」という住民課の返答・・・な、なんと、この町では従来からの障害者福祉の適応のみであって、老人福祉の体制にはなっていないのか。寝たきり老人に対してギャッジベッドやエアマットを斡旋給付するようにというのが県の高齢者対策室からの指導であり、この町も書類の上ではそれを遂行すると答えているのである。町長が福祉最重視を唱えている人だけに、なおさら皮肉なお話・・・。
 行政による公的老人福祉は、自治体間での較差が非常に大きい「隣の町に住んでいたら、こんな援助も、あんなサービスも受けられるのに、うちの町では・・・・・」というような現象が起こってくる。また、同じサービスでも、自治体によって、年齢や所得などによる制限、回数の制限などがマチマチであり、手続きも複雑である。そしてまた、可能な援助、サービス内容について、住民に十分知らされていないことも少なくはないのだ。
 これらは、取りも直さず、その自治体の老人福祉に取り組む姿勢というものが具体的な形となって表出されてくるものであろうし、同時に“人と金”の問題というものを避けて通ることはどうしてもできないのであろうが、いずれにせよ“レベルの低い”自治体に住んでいる人は、第三者的にみても気の毒で仕方がない。
 平成5年度からの、各地方自治体ごとの老人保健福祉計画策定の義務づけにより、これまで以上に各自治体で主体性を持った取り組みがなされることが求められようになってきている。これを契機に、早急かつ抜本的な見直しが期待されるゆえんである。 


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さまざまな愛のかたちに思いを新たにする日
老母の愛 
 Kさん(66歳、女性)は多発性骨髄腫。形質細胞と呼ばれる血球成分の一種が腫瘍に増殖する、
 “タチの悪い”病気である。
 最近、右足の付け根の部分に強い痛みを感じるようになったと言うのでレントゲン検査をしてみたところ、右大腿骨の上端に腫瘍細胞の塊が認められた。今にも骨折しそうな状態と考え、整形外科の手術設備が十分整っている病院へ搬送した。搬送先の病院の整形外科医も、早急の手術が必要と判断し入院させたのだが、3週間も手術待ちをさせられている間に院内のトイレで転倒、ついに骨折をしてしまい、悪条件下での大手術を余儀なくされた(得てして“大病院”というところは小回りの利きにくいことが多いが、そのために運の悪い経過をたどり、余計に痛い目を味わわせることになってしまった・・・)
 Kさんの母親はまだご健在。大病をわずらった既往があるとはいうものの、88歳というご高齢の割にはカクシャクとした方である。
 「こんなおかしな病気に娘がかかってしまって・・・これはやはり、私の“おなかの中にいる時”に何か問題があったということでしょうか
 ある日ひょっこりやって来て、そんなことを私に真剣に問いかけながら、彼女は目に涙を浮かべた。
 「お母さん、あなたは何も悪いことはありませんよ」 
 病気の性質からいって、母親の胎内でどうこうというものではない。なのに彼女は、娘の病気を悔やむにとどまらず、自分の“子宮”までをも責めようとしているのだ。
 いつまでたっても、“母は母”なのであろうか・・・・・。        
老夫の愛
 Tさん(74歳、女性)は、繰り返す脳出血の発作により、4年前から寝たきりの状態となってしまった。
 「息子夫婦に任せてはおけない!」と、専用の小屋まで建ててTさんを“独占”して介護し続けているのは、小柄で痩せぎす、頭はほとんどハゲて白髪をほんの少し残した、風采の上がらない感じの夫である。山で畑や果樹園の仕事をしながら、1日のうち何回も定期的に駆け下りてきては奥さんの介護に当たっている。
 粉ミルク状の栄養剤を湯に溶かして流動食とし、鼻から食道を通って胃まで挿入した細いチューブから注入するのだが、その濃度や分量、注入速度、回数など、何度説明しても一向にそのとおりにはしてくれない。そのほか何かにつけて、デタラメの自己流ばかりである。膀胱留置カテーテル(おしっこを出す管)にしても、時にはきちんと流量などを見てくれてないと、いつ詰まらせてしまうか膀胱炎や腎盂炎(じんうえん)などの尿路感染を起こしてやしないか…、とハラハラする。
 ただ一つだけ言えることは、何か“信念”のようなものを持って介護をしているかのような感じを受けるということ。生半可な気持ちでは、このような状況のなか、4年間にもわたって介護を継続することができただろうかと思う。

 なんでそんなに熱心に、奥さんの面倒を看れるんですか?」
     ある日いきなり訊いてみた。

  愛しとるんじゃ・・・・・
   うつむいて、奥さんの顔や首のあたりをおしぼりタオルで拭きながら、視線をこちらに向けるこ
   ともなく、じいさんはただボッソリと答えた。

                                  *
 老人医療、在宅介護の現場においても、ときとして、さまざまな愛情のかたちに遭遇し、思いを新たにする いくつかの場面 がある。  



介護現場のニーズ見直しが医療サイドの最重要課題
 「介護」と「看護」はどう違うのか?ということがよく議論される。両者を無理やり切り離して定義することの必要性を私はあまり感じないが、自分なりに常々思っているとおりに表現してみるならば、「看護」のほうは診断・治療、すなわちキュア(cure)ということを強く意識した分野であり、「介護」は純粋に世話という意味でのケア(care)に相当するものではないかと思う。
 このような、偉い先生方にでもおまかせしておけばよさそうな議論から話を始めたのは、この「介護」と「看護」の相互関係というところから、「介護」の問題点を拾い上げてみたいからである。
いけないからの脱皮がいるのでは
 そもそも我が国の「介護」というものは、元をただせば、いかめしい看護学の切り売から始まっていることは否めない事実・・・そしていまだにその影響下から殆んど抜け出すことができていないと言っても過言ではないと思われるが、このことが、老人のQOL在宅介護のアメニティ向上大きく阻害することに繋がってはいないだろうか?
 たとえば入浴ひとつをとってみても、「湯の温度は40度以下でないといけない、湯につかるのは胸から下としなければいけない」などという言い方が「看護」サイドのお得意のパターン・・・このような“指導管理至上主義”に対して、純粋に「介護」畑から育ってきた生え抜きのケアワーカーたちが鋭くメスを入れ、脚光を浴びている。「熱いお湯はダメ、首までつかっちゃあダメ、そんなことしてたら長生きできませんよ!』なんてぇことを85歳のおじいちゃんに言ってどうするんですか」・・・みたいな論法で大ウケにウケている。
理論がまかり通るとは限らない
 最近のエピソードを一つ。当院併設の在宅介護支援センターに相談が舞い込んでくる。「80歳の男性で中等度の痴呆(*認知症)あり。仙骨部(お尻の少し下のほう)に褥瘡(じょくそう:“床ずれ”のこと)ができたのでエアマットが欲しい。なんとか立つことはできるので歩行練習のために歩行器が欲しい」とのこと。
 これを受けたソーシャルワーカーは訪問によって実情を把握し、要望に応えるべく段取りを始めるも、そこへ看護婦(*看護師)のチェックが入る・・・「エアマットと歩行器が同居するのは矛盾している。エアマットがあると寝かせきりにしてしまうことになるから併用してはいけない。横から見ていても許せない」というのである。
 確かに純理論的には「なるほど」と思える点もあるのだが、現実問題として、このおじいちゃんには、エアマットも歩行器も必要なのだ・・・離床、起立、歩行により褥瘡を治していくことは最も重要で理想的なのだが、痴呆のために突然、数日間まったく起きることをしなくなったり、ほとんど食べなくなったり…というような波があるとのこと。離床・起立・歩行、そして栄養改善を進めると同時に、臥床している間の条件をも、少しでも良くしなければならない・・・エアマットと歩行器とが同居すべきケースは目の前にあるのだ杓子定規な理論ばかりを並べて“専門家”ぶっている場合ではない
 介護の現場で 医者がガン”となる場面が多ことを以前述べたが、看護」に関しても従来どおりのスタイルのままでは、「介護」のQOLやアメニティ向上に役立つことができないどころか、これを阻害してしまうことすらあるかも知れない。
 「医学」も「看護学」も元来、「介護」(すなわち人間として少なくとも最低限の生活を維持していただくためのお世話、そして出来るだけ心が動いて元気を取り戻していけるような様々な働きかけ、営み)との対面は苦手…ましてやそのコーディネートなど極めて下手である。保健・医療・福祉の連携という永遠の命題を実現していくためにも、医療サイドがもう一度現場の真のニーズと己の姿というものを見つめ直し、保健・福祉に対してどれだけ歩み寄りを見せることができるかどうかということこそが、最も重要な課題となるのではないだろうか。



誰のための介護なのか どこまでやればいいのか
「1分、1秒でも長く生きて」
 Mさん(76歳、男性)は、ここ5年間のうちに三度にわたり脳梗塞の発作を繰り返した
 背が高くてガッシリとした体型。根っからのスポーツマンとして奥さん(現在71歳)のハートを射止めたMさんであったとのこと。だがこの数年間は、脳梗塞の発作のたびごとに右半身の麻痺(まひ)が強くなり、今ではついに寝たきりの状態で、意識ももうろうとしている。“感情失禁”があり、呼びかけたりすると、ときに大きな口を開け顔をクシャクシャにして泣く
 そんななか、なぜか食事と内服薬だけは従順に受け付けてくれていたのだが、4か月くらい前からはそれもできないほどに衰弱してしまった・・・。
 息子、嫁、孫などはほとんど介護に関心を示してくれず、奥さんの力だけでは体位変換(交換)などもままならないため、仙骨部(お尻のあたり)や背部など自分の体重による圧力がかかってくる部位に、遠慮会釈なく褥瘡(じょくそう:ずれのこと)ができ始めた。点滴や注射などによりカロリー補給を図ったが、褥瘡は悪化する一方・・・。ついに2か月前に中心静脈栄養(高カロリー輸液)に踏み切った。
 しかし、ちょうどその頃から手や足などの関節拘縮(こうしゅく:固くなって動かせなくなる)や変形が急速に進み、肩や肘、太もも、膝、かかとにまで容赦なく次々と褥瘡が襲いかかり、日々 “着実に” 悪化していった・・・・・

 おむつ交換さえもきわめて困難なものとなった。開きにくくなったMさんの股(また)を私が両手で精いっぱい開きながら、奥さんを手伝っている
 今では、感情失禁で泣くことすらMさんはしなくなった表情こそ穏やか、安らかではあるが、体じゅうの褥瘡からは浸出液(傷口などからしみ出してくる膿のような液体)が流れ出し、喩(たと)えがよくないのは承知であるが、まるで “ゾンビ”のような(!!)状態・・・・・。
  「こんな姿で “ 命だけ長らえさせている”っていう感じですが、本当にこれでいいんですか
 折に触れ尋ねてみる。
 その都度、「おじいちゃんが死んでしもうたら、息子や孫が悲しむから…」としか答えない奥さんであったが、いろいろと思い悩むところもあったのだろうか … 先日ついに、正直に本音を吐いた
 「私自身の、この人に対する思いなんですたとえこんな姿でも1分1秒でも長く生きてい
 て欲し・・・・・
人生を棒に振ってまで母の介護
 Oさん(72歳、女性)も、脳梗塞が原因の寝たきり8年目。いつ訪問しても、33~34歳くらいの娘さんが介護している。糖尿病もあるので流動栄養食(鼻から挿入した管を通して胃の中に注入)の量は少なめに指示してあるのだが、いつぞやから、どうも予定より早く全部使いきってしまうし、定期的に調べる血糖値もえらく高いことが多い
 「ま、いいか」などとも考えていたのだが、ある日思い切ってそのことについて尋ねてみたところが・・・
 「こんな少しでは元気が出んのでないんかと思ってついつい多めに入れてしまっているんですスミマセン
 ・・・怒ることはできなかった。医学的な理想像よりも、たとえ寿命を縮めてしまうような可能性があるにせよ、とりあえずは目の前の “愛情” を認めてあげるしかなかった・・・。
 後に近所の人から聞いた。この娘さんは女姉妹ばかりの末っ子で、姉さんたちは母親を見捨てて早々に家を出ていってしまいこの人ひとりが結婚を断念してまで介護を続けているということであった。
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                               
 在宅の現場に、もう11年間携わってきているのだが(*平成5年当時)、いったい “誰のための介護” なのかどこまで “延命” を図ればいいのか、その判断にあたっては誰の立場を尊重し最終的に誰が決定するのか・・・延(ひ)いては、医療というものは本当に “良いこと” をしているのかどうか?というような妙な、気持ちのよくない疑問に、いまだにいつもブチ当たってしまうのは、果たして小生だけなのであろうか。

 
 
地域リハビリにおいても 要介護老人の直視が基本
「いきいきリハビリ教室」の取材から 
 地域リハビリテーション白書という本が出版されることになり、「香川県における実践例」という部分の執筆を依頼され善通寺市を取材した。
 弘法大師(空海)生誕の地四国八十八カ所霊場のひとつ善通寺」の門前町として栄えてきた、人口約3万8,000人(*平成5年当時)の小田園都市である。
 当地ではボランティア活動が盛で、地域リハビリの実践もボランティアの協力を抜きにしては語れないのであるがこのことに関してもやはり仏教の慈悲の心と相通ずるものではないかとの見方がある。
 高齢化率16.7%(65歳以上人口6,282人)、市として把握している要介護老人は約90人。
                                             *いずれも平成5年当時のデータ
 市の保健婦(*保健師)が中心となり、「疾病負傷老化等による心身機能低下者機能維持回復日常生活の自立生きがい対策」を目的として、平成2年10月からいきいきリハビリ教室(以下「教室」)を開始している。
 催しの内容としては、体操ゲームレクリエーション作品づくり保育園児との交流などを適宜組み合わせて行っているが、折に触れ開催するミニ運動会もなかなか好評とのこと。
 当初4名からスタートした「教室」であるが、年々参加者が増加し、平成5年9月現在の登録者数は46名となっている(毎回の参加率は2/3程度)。参加者の大半に対してリフト付きバスによる送迎を実施している点などにも、スタッフの熱意が感じられると同時に苦労が偲ばれる。
 「教室」に関して何よりも羨(うらや)ましく思われるのは、毎回、地域のボランティアが20名余り自発的に集まってきてくれることである。市のスタッフ10名と合わせると、ほぼマンツーマン(!!)で参加者への援助ができている
 生活意欲の向上を重視
 「教室」開始当初、昼食は出されていなかったのだが、食べることは生活リハビリの非常に重要な部分であると考え、平成3年4月より、催しの最後に全員で会食をすることにした。食事づくりには市の栄養士1名も加わるが、ここでもやはり、市民の栄養・食生活改善の普及指導を目的として組織されている、食生活改善推進協議会のメンバー食改(しょっかい)さんによるボランティア調理が威力を発揮する。

 普段は自分で食べることができない人でもゲームなどをやって心がいきいきとした状態で会食するとたとえ手づかみでも自分で食べ始める・・・こういう現象が多々みられるというからスゴイではないか。
 「教室」終了後には必ず、スタッフによるケースカンファレンスを行い、参加者一人ひとりのADLや意欲の推移、今回の反省と今後の目標などについて話し合う。ここでディスカッションされた内容を踏まえて、毎月発行の会報いきいきリハビリ通信には、参加者の声はもちろん、PT(理学療法士)による各個人へのワンポイント・アドバイスが掲載され、これがさらに参加者のモチベーションアップにつながっているようだ。
                                  *
 介護不要の元気な老人を、わざわざ送迎してまで老人福祉センター等で入浴させ、その人数をもって地域老人福祉の “実績” と勘違いしている自治体も少なくはないが(もちろん、こういった活動も “要介護予備軍” 対策として十分意義のあることだろうが)、そのようななか、逃げることなく真っ向から要介護老人ADL向上生活の自立生きがい対策などに取り組もうとする同市の「地域リハビリ」にみられる姿勢こそ、国を挙げての寝たきりゼロ作戦が展開されていくなかにおいて、もっともっと評価の対象とされ、他の自治体にも取り入れられていくべきではないだろうか。
   ※ あくまで平成5年当時の記述です。その後、介護保険制度がスタートしましたし、西原の指摘も奏功してか、上記のような
       状態はかなり改善してきています。



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