せくしょん 5  1歳半ごろ右足骨折  6歳のとき野口英世の伝記

 


   セクション5は「これまでの歩み・・・その・・・」


 西原は、1歳半ごろ、右下腿(かたい)((けい)(こつ)()(こつ))を骨折。医師からは、普通に
 歩いたり運動したりできるようにはなら
ない
と言われたとのこと。田舎

 の春のお祭りを見に行った帰りのことであったと聞くが、自転車の後部
 の荷台に乗せられていて、後輪に右の下腿((ひざ)から下の部分)が咬み込ま
 れてしまったのだ!!!・・・「ボグ…」と鈍い音がしたかと思うと、膝か
 ら下の部分が “ 空のほうへ向いていた” という・・・

 親は辛かっただろうと思う・・・。そして私自身もムチャクチャ痛かっ
 ただろうし(…覚えてはいないが…)、長年にわたり運動機能の障害~
 低下に苦労することとなる・・・・保育所のころ~小学校かけては
 運動能力が低く、友だちからは 運動オンチとからかわれたりして、
 常に劣等感に(さいな)まれた・・・

 6歳のときに野口英世の伝記を読み、子供ながらに
  世界中で「発見王野口」と称されたほどの医学上の業績
  アフリカなど医療の光の届かないところで病気に苦しむ人たちの
   命を救った、という点に感激・感動した
                   して医師を目指す決心


 その後、に関しては、野口の医学上の業績として、それほど偉大と
 言えるほどのものはない(黄熱の病原体発見も間違いであった)こと、
 については、主として自分の業績や名声のため、そしてロックフェ
 ラー医学研究所での自身の立場をなんとか維持していくためであり、
 その後の時代背景からあまりにも美化虚像の偶像化英雄視偉人
 視二宮金次郎化場合によっては 神格さえもなされてしまっ
 た(本人にとっても、実は不本意なことであった)のだということを充分
 承知している。
 そして今ではむしろ “人間・野口清作、野口英世” に関して、可及的そ
 の実体に迫りながら検証するよう努めている。しかしいずれにしても並
 外れた気骨、気概の持ち主であり、優秀な人であったことにも間違いは
 なさそうだ。 
     
           野口英世は、
             
        日本国民の愛国心を養うための、そして
 
             科学教育の振興のための教材となったのです


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         テーマ:明るく前向きな終活
   コンセプト:「こいつアホか」と思って頂けるような内容
                             “賛否両論”のオンパレード

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